仕事も生き方も人間関係がすべて〜悩まない自分の生き方をつくろう〜

厄年のビジネスパーソンが抱える課題、この先の生き方、職場の人間関係のストレス、職場で部下指導や育成、コミュニケーションギャップ、自信が持てない自分、そんなお悩みの解決指南の日々や日常の所感を綴っています

坂本祐央子です、自己紹介 その1〜学生時代(千葉市・旭川市)編〜

こんにちは、坂本祐央子です。

コーチングを学び、コーチ・ファシリテーター・研修講師として、人が本気で貢献したい、やりたいと思えることに進むためのサポートを仕事にしています。

今、私がここにいる経緯を自己紹介します。

 

私の30代までの生き方は、ダメダメな自分で、

人生でどういう生き方をする」とか「主体性を持って生きる」ことをしていなかったのです。

しかし、コーチングを学んだことで、「考える」ということを少しずつするようになりました。

そんな私の経歴をご紹介していきたいと思います。

 

出身はびっくり、富山市ではなく高岡市生まれ?!

1965年1月24日、母親が里帰りした富山県高岡市の病院で生まれました。

実は、ごく最近まで母の実家は富山市だと思い込んでいて、両親が富山に遊びに来た時に、生まれ育った街を見たいとドライブした時に「富山県高岡市生まれ」だった!と発覚した事実です。

 

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育ちは千葉県。伯爵先生と一緒の楽しい幼稚園

子どもの頃は、千葉県千葉市で育ちました。

2歳下の元気で暴れん坊の弟がいます。

幼稚園は千葉大付属幼稚園で、イギリスやアメリカ国籍の子どももいました。

今思うと、キリスト系の大学が近くにあったので、そこで働いていた英語教師のお子さんだったのだと思います。

 

しかも、当時の担任の先生が男性でした。

小さい私の中では当時テレビでみていたドラキュラ映画の伯爵の雰囲気だったので、心の中で「伯爵」と呼んでいた厳しい先生でした。

遠足でおにぎりが転がり出てしまい地面に落ちたのを食べられないと泣いたら、大丈夫だから食べなさいと厳しく言われたことを今でも覚えています。

 

おとなしい子どもでしたが、頑固だったようで、母に叱られるといつも「出ていきなさい!」と言われると、黙って玄関先に夜になっても立っている子だったようです。

泣いたこともほとんどなく、小学校時代に母に「泣かないから可愛げがない」と言われたことが心にずっと残っていて「泣いたらかわいいの?」と時々思っていたような子どもでした。

 

体育が苦手で、手作り小物にハマった北海道旭川での生活

小学校3年生の冬に、父親の仕事(自衛官)の都合で北海道旭川に引っ越し。

いきなり、体育の授業で「今日は大回転です」と言われて、ビビりました。

もともと運動が苦手で、千葉の小学校では跳び箱3段まで飛べるようになって転校したのですが、そこでは跳び箱6段からチャレンジ!

その間の4段や5段を飛ぶ練習がなかったのでイキナリの6段は飛べずにますます体育が嫌いになりました。

 

部活は、手芸部や家庭科部(料理)など、手作り小物にはまっていたのもこの頃。

 

自由な校風の千葉県立四街道高校、吹奏楽部で頑張る日々

高校受験のタイミングで、千葉に引っ越し。当時の中学の先生からは、

「内地(北海道から本州はこう呼ぶ)の高校の状況はわからないから、一番家から近い公立と私立を受けなさい」

と言われ、今のようにインターネットもない時代に賭けのような高校受験でした。

無事、家から一番近い、千葉県立四街道高校に通うことになりました。

クラスになんとなく馴染めないような気がして、3年間ランチタイムは1年生の時のクラスの友達と食べていました。

当時の四街道高校は大学のように授業ごとに教室を移動し、2階がロッカールームになっていて自分の教室をもたないスタイルだったので、そういったことが可能だったのだと思います。

自由な校風で、吹奏楽部に入りパーカッションからテナーサックスを吹くことになり、部長になりクラスには馴染めなかったような気がしていたものの、文化祭や高校野球も部活として楽しみました。もちろん、3年間体育祭は欠席です(笑)

 

つづく