仕事も生き方も人間関係がすべて〜悩まない自分の生き方をつくろう〜

厄年のビジネスパーソンが抱える課題、この先の生き方、職場の人間関係のストレス、職場で部下指導や育成、コミュニケーションギャップ、自信が持てない自分、そんなお悩みの解決指南の日々や日常の所感を綴っています

坂本祐央子です、自己紹介 その11 〜2人目のロールモデルに出会い円満退社〜

こんにちは、坂本祐央子です。

引き続き、自己紹介。

前回はこちら

 

コーチングスキルを身に付けることから、講師トレーニングへ

コーチングスキルを身につけ、講師トレーニングも終えた頃。

ロールモデルになる2人の女性に巡り会えたことが、次のステップになりました。

 

ソフトバンクの営業と二足のわらじで銀座コーチングスクールの講師をするという大変さ

当時、ソフトバンクで仕事をしながら、休日は銀座コーチングスクールの講師の2足のわらじ状態でした。

ソフトバンクでは、業務用端末を支給されていて土日も稼働している本社の部署や担当のお客様からも電話は日常的にかかってきました。その頃には、法人営業の仕事は天職だと思うほど、日々が楽しく、今でも戻れるならソフトバンクで営業職をやりたいと思っているぐらいです。

しかし、そろそろどちらかの仕事を選ばなくてはならない状態だと感じていました。

 

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ロールモデルの女史と独立について語り合う

ある日、ロールモデルのひとり、北陸のビッグユーザーを次々開拓する尊敬する職場の先輩のT女史とランチ。

「独立しようかと思う」

T女史「いいんじゃないー!」

私は大丈夫かと不安がられるのかと思ったら想定外の応援の声。

聴くと、なんとT女史は嘱託社員でご自身は会社を2つ経営しているとのことでビックリ。

「会社経営してるのに、どうしてソフトバンクに?!」

T女史「会社は人に任せてあるから、朝起きて行くところがないとつまらないでしょ、だからソフトバンクで働くの」

と、涼しげな顔で言いながら北陸の銀行や大手はすべてT女史のお客様。

 

T女史から会社設立は簡単、と背中を押してもらうとともに会社名までT女史に考えてもらって、プレゼントしていただきました。

 

独立して会社を作るということ、そして会社のネーミングが決まらない(笑)

会社登記の前日、なかなか社名が決まら無い私とT女史

T女史「なかなかいい名前ないね。じゃ、お互いに娘の名前はどうやってつけたの?うちは、中央病院で生まれたから奈央子、、あ、これじゃだめね。」

コーチングの師匠に相談したら、坂本商店はどうかって言われたけど、それはちょっと嫌なのよ」

T女史「じゃ、好きな本の主人公を言い合いましょう。私からね、私はシェヘラザード。」

 

あ、それ!決めた!

千夜一夜物語に登場する語り部であるシェヘラザード

悪い王様をなんとかしようと、大臣が娘を嫁がせる、その娘がシェヘラザード。

シェヘラザードは王に殺され無いよう、寝る前にアラビアンナイトなど物語を語って聞かせる。

途中で、続きは明日と語りを止めてしまうので、王は殺すことができ無いまま、彼女の話を千夜聞いたことで改心し、いい王様になった。

その語った物語が、千夜一夜物語であると言われている。

 

人は語ることで、価値観が変わりいつでも新しい人生を紡ぎだせる。

 

そんな名前をプレゼントしてくれた、T女史に感謝である。

さて、会社名も決まり、お世話になったソフトバンク円満退社を迎えた。

 

起業するって、どういうことなんだろう?

 

つづく

 

 

 

 

坂本祐央子です、自己紹介 その10 〜ロールモデルに出会う〜

こんにちは、坂本祐央子です。

自己紹介、引き続きです。

 

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「聴く」と「問いかける」というコミュニケーションを学び、コーチの道へ

親友の自殺をきっかけに自分のコミュニケーションを変えたくて、銀座コーチングスクール金沢校のドアを叩き、40時間の学びで一旦終了。

同じタイミングで転職しソフトバンクモバイルで法人営業として、上場企業の役員の方々と商談させていただく機会のなかで、コミュニケーションとしての「聴く」「問いかけるコーチングスキルが役立つことに気づくとともに、自分も肯定しやりたいことが見つかってくる。

 

ロールモデルの女性たちに出会って、講師として登壇する気合が入った時期

ソフトバンク時代、私のロールモデルの女性2人に出会ったことがさらに運命を変えてくれました。

 

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ひとりは、銀座コーチングスクールの1期生で会社経営しているKさん。

体験講座の講師として登壇した頃、講師として起業でき無いかと相談したらバッサリ「無理だから止めなさい」

さすが、ご自身も研修をされていて実情がわかるだけに力のなさや覚悟のなさを見透かされた感じがしました。

しかし、その後Kさんから連絡が。

「そろそろ、ソフトバンクで頑張ってきたし、講師業してみたら?仕事は週に2回、コミュニケーショントレーニングを就業支援で実施する内容、どう?」

以前、Kさんはどうやって今の仕事を未経験からやってこれたのかと聞いた時にKさんが間髪開けずに「それは、仕事の依頼が来たらはい!か喜んで!の答えでチャレンジしてきたのよ、こう見えても頑張ってきたのよ」と言った言葉が浮かび、もちろん私も「はい、喜んで!

これが、研修講師としての一歩目でした。

つづく

 

坂本祐央子です、自己紹介 その9 〜初めて講師として登壇編〜

こんにちは、坂本祐央子です。

引き続き、自己紹介です。

 

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営業ウーマンとして「聴く」ことの大切さを知って、コーチングの有意義さを知る

転校でコミュニケーションが苦手だった子ども時代、やりたいこともないまま社会人になり、30代半ばの転職でソフトバンクで法人営業の仕事を通して、多くの経営陣とお話しするチャンスに恵まれ、クレーム対応で一番になりたいと「聴く」「問いかける」ことを徹底することで、お客様からの信頼を得られ顧客満足度にも上位ランキングされるようになった。

 

コーチングでやりたいこと、コーチになってやれること

  1. 銀座コーチングスクール講師養成講座
  2. 最初は体験講座ができるレベル
  3. 次は認定試験の試験官ができるレベル
  4. そしてテキストを理解できるように伝えらえるレベル

 

人前で話をする、説明をして理解できるようにする、それが出来るようにサポートする。

そんな経験を今までしたことがなかったので、どれも新鮮で、、、ドキドキでした。

講師はスポーツマンNコーチ。

あまりにもできの悪い受講生だったせいか、私たちのインストラクションをする時間には、時々教室の後ろのNコーチからホワイトボードマーカーが飛ぶような恐ろしい、いや熱血の講座でした。

最初のステップで、銀座コーチングスクール体験講座を実施出来ることになりました。

金沢校で体験講座をやる日がきまったものの、仕事が忙しいことを言い訳に自分が納得のいくトレーニングができない状態で、明日が生まれてはじめて人前で話す体験講座の日を迎えました。

夕方、いざ体験講座の予習をしようと思ったら、スクリプト(台本)の資料がない!そして、森代表(当時GCS代表)が体験講座をしたCDが見当たらない!

日頃の片付けの悪さが、こんな不測の事態に。

「明日は体験講座出来ない!」

でも、受講申し込みが8名。どうしよう・・・。

 

ふと、一緒に学んだNさんが思い浮かびました。

NさんならテキストもCDも持ってる!頼んで借りて今から予習しよう!

Nさんに早速電話しました。

「明日の体験講座やるのだけど、資料貸して欲しいの。見つからなくて、もうダメかも」

Nさん「え?今から会社の飲み会なんだよねー。22時には解散するけど、どうする?」「・・・・。どこですか?お迎えに参ります。そしてお家までお届けしたタイミングで資料かしてくださいっ!!」

Nさん「いいよー。来てくれる?」

 

ほろ酔い、、いや、かなりご機嫌のNさんをお迎えに金沢の繁華街まで22時にお迎えに。

Nさん「お迎え、ご苦労〜(笑)、でテキスト無いの?」

「そうなんです、、もう、明日どうしたらいいのか。」

Nさん「坂本さんは、どういった講師でありたいの?受講される方にどうなって欲しいの?」

そのまま、送迎の車の中はコーチとクライアント状態で問いかけられては考える20分を経て、Nさんのご自宅に到着。

Nさん「テキストとCDいる?明日は坂本さんらしい時間になればいいと思うよ、あのCDは森さんの語りだもん」

「いらない、ありがとう」

 

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人生初の体験講座の講師、緊張でいっぱいの時間

人生最初の講座は、ホワイトボードに「講師 坂本祐央子」と書いたとこまでは記憶しているけど、そのあとは記憶に無いぐらい真っ白。

もしかしたら、当時の受講生に失礼なことがあったのかもしれないけど、忘れてしまうぐらい緊張で上がっていたのだと思う。

 

今でも、人前に立つ時はドキドキします。

その度に「今日は受講される方がどうなったらいいの?ニーズはなに?何が提供できたらその人の気持ちを動かせる?そして、そのために私はどうあればいい?」と問いかけています。

 

初めての登壇は、記憶が真っ白でお伝え出来るミスも思い出せ無いような状態でした。

そこから、このドキドキと向き合って行こうと決意しました。

 

慣れ親しんだ、銀座コーチングスクールの講座が第一歩目。

次は、外部研修の講師一歩目。これもまたドキドキ。

 

つづく

 

 

 

坂本祐央子です、自己紹介 その8 〜コーチングスキルで営業成果をあげる編〜

こんにちは、坂本祐央子です。

引き続き、自己紹介です。

 

前回の話はこちら

 

コーチングを学んだけれど、スキルが身についたかどうかは分からないというジレンマ

コーチングを学んだけど、40時間学び終えたことに満足して、コーチングスキルに関しても身についた感覚もなく、忘れ去って新しい仕事につくことになりました。

やったことがない法人営業の仕事で、アナログでお局様が支配していた事務職員時代とは違うスピート感や景色を楽しめそうな気分になってきたところ、仕事について7日目に事件が起きます。

 

役員室のドアをノックすると、奥から「どうぞ」の声。

私は満面の笑みを浮かべて、イメトレをし続けてドアを開けると、厳しい顔のお客様の表情。

が、一瞬にして緩んで「どうぞ、こちらに」

 

その後は、とにかく一生懸命話しを聴こうと思っていました。

なぜなら、商品説明ができるほど、全く知識がない状態の入社7日目だったからです。

それが功をそうしたのか、帰りにはお客様は笑みを浮かべて「次、いつ来る?」と歓迎の意を表してくださいました。

 

そのお客様とは、訪問するたびに契約以外にも、お客様のサービスに対しての意見を求められたり、いい関係が続きました。

その後、数百台の契約をライバル会社に乗り換えることになった時も、呼ばれて「坂本さんにはとてもお世話になった、今回は社内で決まったことで申し訳ない」と頭を下げてくださいました。

もちろん、こちらの力不足もあり乗り換えることになったのですが。

3年後、私がソフトバンクを退職したあと、お客様が他社への乗り換えから3年後にまたソフトバンクに戻ってきてくださり「坂本さんは?」と聞いてくださったと当時の同僚から聞いた時は、営業をやっていて良かったと心から嬉しく感じました。

 

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聴くスキルと問いかけるスキルを持った営業ウーマンとなった!

ソフトバンク時代は「聴く」こと、「問いかける」ことが、お客様のお役に立てて、こちらも売り上げも上がるスキルだということを再確認する日々でした。

社内で法人のお客様にランダムにインターネットで顧客満足度を調査するのですが、そこでも私の担当のお客様は多面的満足度アンケートでも「満足」を示してくださり、当時東京の部長からも「坂本さんは、どうやって営業してるの?」と問われたものです。

 

もちろん、その時はまだ自分のスキルが恥ずかしかったので「コーチン」とは口にしませんでしたが。

 

仕事でうまく自分を表現できるようになったと同時に、忘れていたと思っていたコーチングのスキルがこんなに仕事に役立っていることが発見できたこと。

実は、入社1日目に統括部長が北陸支店にいらっしゃっていて私にあった時のひと言が今でも忘れられません。

「坂本さん、6ヶ月は必ず働いてね。以前の担当者は6ヶ月で辞めちゃうんだよ。だから、6が月はね!」

通信会社の法人担当は、メンタル的に厳しいのです。

コミュニケーション能力をお客様、そして社内と両方に必要でその上、売り上げ数字の責任が乗ってきます。

しかも、メンタルヘルス疾患で休職明けの方などは在籍していますが、対人業務である営業には出ないものの営業部署にいるので、人数分だけ部署での売り上げ数字は課せられます。

北陸も例外なくメンタルヘルス疾患の方はいましたので、実働人数とギャップがある中での売り上げを維持することが課せられていました。

 

ある日、銀座コーチングスクールの講師養成講座があることを知って、コーチになるための行動を起こし始める

私の人生にとって、意義ある営業人生の日々の中で、ある日「銀座コーチングスクール講師養成講座が富山で始まる」と情報が。

 

コーチングから離れていたものの、コーチングの効果を日々実感し始めていた私は、もっと私自身が人生を楽しく、ラクチンに過ごせるような人が増えたらと思い始めていました。

もしかしたら、親友の遺書の最後の一文「自分の分まで坂本さんには生きてください」の意味をずっと探していたのかもしれません。

組織の中で部下を多く持ちながら、自分の苦しみを誰にも伝えられず自殺した親友Mさんの遺言のような言葉の意味が、そういった辛い状況の人がこれ以上増えないための人との関係性作りや、組織作りへと気持ちが動いてきました。

 

ソフトバンクで、多くの一部上場企業の役員の方との商談で学ぶこと多く、社内でも学びが多い日々を過ごしつつ、少しずつやりたいことが見えてきた頃でした。

 

つづく

 

坂本祐央子です、自己紹介 その7 〜怖さをを克服した役員室編〜

こんにちは、坂本祐央子です。

引き続き、自己紹介。

 

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親友を失った悔しさからコーチングを学び、転職した場所で待っていたものは?!

親友の自殺をきっかけに「聴けないことは失うこと」を痛感し、自分がもうそんな目にあいたくない一心でコーチングに出会い、学ぶ。

しかし、学びの動機としては、人生の先輩からのひとこと「なんでそんなもん学んでるんだ!?」と想定外に否定されたひと言で、悔しさから学びを決意。

そんな理由だったので、学び終えて認定試験に合格したタイミングで私の「コーチング」学習熱は終了したのでした。そしてソフトバンクモバイルへ転職。

 

ここでもターニングポイントになる事件が起きた。

 

営業経験がない私が同行した先で、顧客先に遅刻するという大事件勃発!

同僚が役員室で怒鳴られ、蹴られた日の午後。

13時に私は、同僚の代わりに引き続きお客様の元に行くことになりました。

入社7日目で商品知識もない状態で、若い男性の営業マンに運転してもらい、40代後半の他の商品(固定回線)担当の営業マン男性と同行してのドライブ。

私と男性2人と乗せた車は、なんと!お客様の会社の駐車場で若い営業マンがビビっていたのか、側溝に車輪を脱輪。

時間に遅れるとお客様の怒りをさらに誘引してしまうので、彼は車の脱輪処理に置いて、おどおどした感じの40代後半の営業マンとともにお客様の会社のエレベーターで4階、役員室を目指す。

ドキドキしすぎて、もうどうしていいかわからない状態。

私、何を怒鳴られるんだろう。

エレベーターが4階にあがる短い時間にいろんな思いが巡る。

その時、ふと子どもの頃の通学路に犬がいて、犬嫌いの私はいつも怖くて怖くて学校の帰りが嫌だったこと、そしてその話をしたら大人の人が教えてくれた「犬は怖いと思う人間をちゃんと見ていて、怖いと思うからワンワン!って吠えるんだよ」を信じて、それからは犬の前を通る時は「怖くないもんねー」と10回ぐらい唱えて通り過ぎることをずっとしていたことを思い出した。

 

エレベーターが4階についた時、決めていた。

役員室のドアの中には、幼稚園時代の初恋の男性がいると思おう!

もう、姿形は変わっていると思うけど、絶対懐かしいはずだ!

 

そう思って、役員室のドアをノックした。

 

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つづく

坂本祐央子です、自己紹介 その6 〜ソフトバンクモバイル転職7日目の事件〜

こんにちは、坂本祐央子です。

引き続き、自己紹介です。

 

前回はコチラ 

 

ソフトバンクモバイルでの法人営業時代

コミュニケーションに悩み、やりたいこともなくぼんやり過ごして、30代半ばになり「銀座コーチングスクール金沢校」に出会い、苦手だと思っている「法人営業」の仕事につくことになった私。

 

ソフトバンクモバイルの法人営業の仕事も、やりたい仕事を探したらココに行き着いたのではないのです。

 

人生の先輩「そろそろ仕事したほうがいいんじゃない?雇用保険も切れるでしょ?」

「何をしたいのかもわからないし、どうしよう」

人生の先輩「明日の朝、目に付いた求人広告にとにかく電話しなさい」

翌朝、目に付いた広告に電話したら面接に呼んでいただき、数日後に採用の連絡が来た。

「営業なんて、やったことないし・・」

人生の先輩「大丈夫だよ」(⇦安易な感じで)

「そうかな」(⇦力なく、適当な感じで)

 

今は、仕事ってご縁だなと感じています。

いい歳して何もわからない私が「時の流れの止まったアナログな団体職員」から「仕事の勢いもあり流れも早いソフトバンクで法人営業」をすることになりました。

自由な社風もあり、何もわからない私を周りの方が助けてくださったこともあり、仕事は徐々に慣れてきました。

 

同僚のYくんが起こした、営業としての転機

そんな入社7日目の午前11時半の出来事。

同僚のYくん、体格もよく100キロ越えの巨漢でいつも優しいのですが、その日は半べそでオフィスに戻って来ました。

 

上司「Y、どうした?」

Yくん「お客様のところで、叱られ、、、役員室で怒鳴られ、蹴られました。もう行きたくないです(号泣)」

上司「うーん、そっか。坂本さん」

「はい」(ドキッ)

上司「午後イチバンに、お客様のところ行ってきてくれる?」

「え・・場所わからないし」(当時ナビもなく、住宅地図コピー時代でした。がこの答えは無いですよね)

上司「あぁ、大丈夫だ。若い奴、、Oくんに運転して持って、あ、そうそう他にももう一人固定回線の担当も同席させるから、行ってきて」

「・・・」(Oくんを見るも、顔を背けられる)

 

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ランチはもちろん、喉を通らずです。巨漢の彼が蹴られた役員室にどうやっていけばいいのか。しかも商品知識はまだ皆無に等しい入社7日目。

私の教育担当でもある営業事務の女の子がそっと「あぁ、あのお客様大口のお客様だけど、いろいろと細かいのでトラブルになる有名なお客様なのよ」

 

つづく

坂本祐央子です、自己紹介 その5 〜コーチングって上司が学ぶもの?〜

こんにちは、坂本祐央子です。

引き続き、自己紹介です。

 

前回の話しはコチラ

 

人生を変えた転機の時、そしてコーチングとの出会い

人生を変える大きな出来事に遭遇した親友の死。

そして、親友の死から4日後になぜか、職場に出勤したら理由なく解雇され、その件で弁護士さんと訴訟を起こそうとしていたタイミングで、銀座コーチングスクールに偶然出会う。

 

人の話しを聴けないことは「人の命」も失う、二度とこんな思いをしたくない一心。それが、受講の動機でした。

しかし、銀座コーチングスクール金沢校の受講仲間は、

ビジネス現場でコミュニケーションスキルをあげたい

管理職としてもっと部下が活躍できるようにしたい

などと思う、私と違う世界に住む人ばかりでした。

 

受講1日目に人生の先輩に「今日、コーチング学んできた」と私。

人生の先輩「お前なにやってんだよー!コーチングって部下を持つ上司が学ぶもんだよ、お前は今無職だろう!?全くなにやってんだよー」と、ガツン。

心の声で『もう、絶対コーチングって単語をこの人に話すのはやめよう、そして絶対最後まで学び通してやる〜』と叫んだのを今でも覚えています。

 

コーチングを受講することを否定された悔しさをバネにして、勉強し、認定試験を受ける

人は自分がやっと見つけたものを否定されると、もう話したくないと思うと同時に、悔しさがバネになるのです。

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そんな気持ちだけで、受講したのでもちろん講座中は落第生。

言ってる意味も、テキストの意味も理解できないことが多いし、実践もうまくいかず、当時の同期の仲間がビデオに撮影してくれたセッションもDVDでプレゼントしてくれたのに、実は今でも見ることができないほど、ビビっていたのです。(同期のOさん、一緒に学びを向上させようとした気持ち、ありがとう)

 

認定試験は、なんとかギリギリ合格

 

私のその時の思いは果たしたのでした。「最後まで学び通してやる〜!完!!

そのタイミングで、無職から就職も手に入れました。ソフトバンクモバイル、北陸支店法人営業部で営業職として働くことになりました。

 

「営業」って今までやったことない、大変な仕事って聞いてるけど・・、次なるターニングポイントへのスタートでした。

 

つづく